音楽家の坂本龍一さんの生前インタビューを聴いて、一生を一つの事に捧げたアーティストのコメントが心に響いた。普通なら、”死”を意識すると、恐怖以外の何を考えて生きていくのか?私たちに与えられた時間は皆平等だし、死亡率も皆平等に100%だ。だからこれから我々が生きていく上で、人生の良いヒントをもらえるのではないかと思い、今回はアーティストの ”響く言葉” にフォーカスをしてみました。
ただただ「音」を浴びたかった
坂本龍一👉音に溶け込む人生!”ただただ音を浴びたかった”
坂本龍一さんの場合、何を作ろうなどという意識はなく、ただ音を浴びたかった。それによって体と心のダメージが少し癒される気がしたのだなどと音楽への渇望をあかし、今後も体力が尽きるまで、このような日記を続けていくだろうと、スケッチという言葉を用いて、楽曲制作への衰えぬ意欲を示されていた。
これがホテリエだったらどうだろう。一人で想像してしまった。沢山のお客様のシャワーを浴びる?それを想像しただけでも、不思議な映像!ではホテリエは何にフォーカスして行ったら良いのかとふと考える瞬間でもあった。逆に言うとホテリエの場合は、自分の何割かはゲストのために、常に空白にしていて、日常に起こるハプニングを受け入れる空間を持っているかもしれません。
メキシコには僕のアートの真似が沢山あってびっくりした!
岡本太郎👉メキシコでインスパイアー、”僕の作品の真似が沢山あってびっくりした”
岡本太郎美術館を歩いている時、太郎がメキシコに初めて足を踏み入れた時に、発した言葉だ。”メキシコには僕の作品の真似が沢山あってびっくりした。どうやって真似したんだろう?” これを聴いたら、現代人の私たちが、会社でもまれているのがばかばかしくならないか?私はそう思った。この自由な発想は世界をも圧巻した太郎こそである。私たちは、地理的に離れていても、きっとどこかに絶対会いもしないはずの、誰かからソウルフルなつながりを感じるアンテナ信号が発信されているはずではないか?
メキシコのオアハカには死者の日がある、死者の日は毎年11月1日と2日に開催。 10月31日の夜から開催している地域もあります。 1日は子ども、2日は大人の魂が地上に戻るとされるため、お供え物はお菓子からメスカルというお酒に変わります。ファンキーなファッションのガイコツが飾られている。これも岡本太郎が沢山の真似があるといった文化の一つである。この街には無数の死者がすぐそばにいると感じられる。
メキシコには僕のアートの真似が沢山あってびっくりした = 表現するという点でアーティストは点と点でワープできるのか?
ホテルも、最近はどこも同じようなことを行っており、あちらが何かを始めればこちらも同じようなサービスを始めたりして模倣合戦にも見える!ホテリエが少ないなかで、本当にやりたいことで差別化を図れるかがこれからの課題と言えるだろう。
“アーカイブを残すこと”よりそこに“身を投じること” 「物」ではなく「人」に刻まれるのだ。
竹田鎭三郎👉“アーカイブを残すこと”よりそこに“身を投じること”
メキシコのオアハカという場所を調べていると日本人画家の竹田鎭三郎先生がパンデミック中、オアハカに住まれて面白いコメントをしている。
「自分の村に帰って、そこで起きていることをよく観て描きなさい」「百姓が自分でつくったものを売るように、日々、自分たちでつくったものを売りなさい」と彼らに語り「郷土主義」や「百姓美術」を教えた。そのことは、歴史的に幾度となく虐げられたために貧困率が高く、劣等感に苛まれてきた彼らを勇気づけ、尊厳の回復を支えた。
メキシコに渡って半年くらいまでは、終息する気配のないパンデミックに不安を感じたり、いつまで経っても開かない美術館や図書館の扉の前で、歯がゆさを感じたりもした。しかし、ひとたび街を歩いてみると、通りのいたるところに現われる巨大版画は、日々、更新され続けているし、タジェールの扉は開いていて、いつでも迎え入れてくれた。
アーティストたちの活動があまりにも活発で、日々さまざまなことが起こるので、これら一連の活動がアーカイブされていないことにもったいなさを感じ、写真や映像で記録したりもした。しかし、彼らの活動に併走するうちに、“アーカイブを残すこと”よりそこに“身を投じること”のほうがより具体的な継承につながっていることを感じた。記録物を残すことよりも、実践のなかで継承していくこと。経験されることにより、「物」ではなく「人」に刻まれるのだ。
私たちは、朝トイレに入ってから、夜ベッドに入るまで、ずっとスマホを片手にSNSでライブ中継を行っている。実際私も新しくできたレストランで出た来た物珍しい一皿一皿を撮影してしまう。これはアーカイブを残すことより、身を投じてすなわち、今ここに集中の仏教の教えてにも通じているように思えるのだ。皆がつながりすぎて、家にいようが電車にいようが何か落ち着かないのは私だけだろうか?
じぶんが面白くなれば、他人も面白くなる、それがものづくりの原点
柚木沙弥郎👉じぶんが面白くなれば、他人も面白くなる、それがものづくりの原点
民藝やフォークアートなど、色使いがポップで陽気なもの、つくりは粗野でもわくわくさせてくれる物、旅をしていると、作家の息使いが伝わるようなそのような感覚で柚木さんの作品に出合うことがある。染色家・柚木沙弥郎さんはいつも何か新しいものを作り出そうとする、沢山の引き出しを持っている。
彼の物づくりの原点は、ホテリエにとっても共通するものがある。旅先のホテルで、ホテリエがゲストを迎え入れる時に心から楽しんでいるか?ゲストの事を考えてリクエストにお応えできているか? お互いの共鳴感度が触れ合い感動を生むことがある。旅とは大切なプロセスの一部である。インターネットで旅をした気分になるような旅行パッケージがコロナ禍に登場していた。テレビで、海外の風景やドキュメンタリーで行ったこともない映像を見るのは楽しい。しかしやっぱり、実際に旅を計画し、現地の空気を吸って、地の物に触れてこそ旅の醍醐味である。
”そりゃあ人間だから、スランプもある。社会に目を向ければ、息が詰まるような問題もたくさんあるし、仕事や家庭のことで悩む人も多いかもしれない。でもその中に生活の面白みを感じられるか、というのがミソだよね。”そういう柚木さんは忙しい合間に、本を手元に置き、ぱらぱらとめくっとハットする言葉に出会うというちょっとした工夫もされているのが興味深いし参考になる!
わざわさ、人里離れた山にこもらなくても、芸術という視点から見ると、日々の生活の中にこそ生きるヒントが隠れているんじゃなあ!